ほとんど知られていない『ローマの休日』主演女優・ヘップバーンの壮絶な過去
皆さんは『ローマの休日』という映画をご存知だと思います。
私は「永遠の妖精」とも呼ばれる彼女がスクリーンの中で、
ローマを自由に、そして楽しそうに巡る姿はとても印象に残っています。
反ナチス活動で捕まり、なんとか逃げ出し、飢えをしのぐ生活をしていたことも
ヘップバーンは、あのアンネ・フランクと同い年で、同じ戦争を体験しました。
14歳の頃に反ナチス活動をしていたことで逮捕されます。
しかし、うまく逃げ出し道端にある草などを食べ、
飢えをしのぐような逃亡生活をしていたこともありました。
若い頃、このような苦しい経験をしたことにより、
彼女は常に貧しい子供たちの事を気にしていました。
なので、ユニセフ親善大使に選ばれてからも、
ガンで体がだめになろうとも、
年を取ろうとも、飢餓や戦禍に遭った子供たちのために支援活動し続けそうです。
『ヘップバーンがユニセフ親善大使として、エチオピアに行った時の写真』⇩
ヘップバーンの凄まじい人生
本名:オードリー・キャスリーン・ラストン。
そして、1939年から1945年の約7年間、
彼女は音楽院に通い、バレエを学びました。
しかし、ヒトラーがトップとなった頃のドイツはオランダを占領し、
それに反対していた彼女 (⇦おそらく、ヘップバーンの母の実家がオランダだったからでしょう) は反ナチス活動に参加し、捕まることも。
叔父と従兄弟もドイツへの抵抗活動していたので、
ヘップバーンの目の前で殺され、異父兄イアンは強制収容所に送られました。
ヘップバーン自身は栄養失調に苦しみ、
重度の貧血と呼吸器障害などになってしまいました。
第二次世界対戦後、
ヘップバーンは生活のために映画やテレビなどで役者の仕事を始めました。
そして当時は無名に近かったのですが、
彼女をオーディションした監督はただならぬ才能があると感じ、『ローマの休日』のアン王女役に抜擢され、一躍、有名女優となりました。
のちに女優業を引退し、ユニセフ親善大使となり、
貧しい子供たちのため、ガンで体を冒されようとも、活動を続けました。
『永遠の妖精』ヘップバーンの名言
↑ヘップバーンでも、不安に駆られる毎日だったのでしょうか。
↑これは、突然お金持ちになったとしても、同じことが言えます。
↑学校を卒業し、社会人になろうとも疑問に思った事があれば、学ぼうと自ら調べたりできますからね。
彼女の人生は、ほんと山あり谷ありの人生です。
親族を殺されたり、自分が逮捕されたり、極貧性格をしたり。
そして女優になってからは、様々な幸運に恵まれ、監督に見出されて、のちに有名となる作品に出演し、女優として大成功したり。
私はたいした人生を送ってないので、ヘップバーンの人生が凄すぎて、「なんか、私の悩みって…小さいな」と思ってしまいました。
ちなみに外国で有名な大物女優さんは大勢いらっしゃいますが、その中でも私が人間としても尊敬できるのは、この人です。