いざ、言葉の森へ

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『政治家は選挙の前に、決まって嘘をつく!』 鉄血宰相・ビスマルクの考え

 

未だかつて誰もなしえなかったドイツ統一を果たし、

統一ドイツ初代帝国宰相ビスマルク (鉄血宰相とも呼ばれる ※1) は、

『人が決まって嘘をつくとき、それは狩りの後、戦争の最中、そして選挙の前である』と言いました。

 

 

 

政治は問題視されることが多いですが、皆さんは政治家の質や言動の一貫性に注目してますか?

 

なぜ今回は、人が決まって嘘をつくときは~という言葉から始めたか。

それは政治家が嘘をつくときは、この時が多いことを知って欲しいんです。

 

そういえば以前、に〇ぽんという綺麗な国では、

ある党が選挙公約でガソリンの税金撤廃や高速道路無料化などを掲げ

政権交代をしましたが、見事に実現できませんでした。

 

別に、その党をとりあえず批判したいんじゃなくて

選挙に出馬する政治家 or 各政党は

実現可能なことを言っているのか

ちゃんと見極めていこうという事です。

 

当選したい、議席を増やしたいから言っているのか

それとも、財源が確保でき、国内の状況や世界の政治情勢などの観点から見てもやれるから言っているのか

を頭に入れておいて欲しいんです。

 

※1強固な軍事国家を創り上げたために、『鉄血宰相』と呼ばれるようになりました。

ただ実際のところ、ビスマルクは軍事力は本当に必要な時にしか使わず、

基本的に他国と粘り強い外交交渉で折り合いをつけたそうです。

 

ビスマルク。正式名『オットー・エドォアルト・レオポルト・フュルスト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン』の人生

 

名前長すぎ!!というツッコみは当然です。しかし、ピカソはもっと長いです。

 

ピカソの長すぎる名前については、こちらをご覧ください。

 

ビスマルクは1815年に、プロイセン王国の地主貴族の家庭に生まれました。

官吏 (今でいう公務員) になるため、大学では法律を学びます。

しかし、官吏となりますがあまり仕事がおもしろいと感じず、

地元に帰り政治家になるまで、地方貴族としての仕事をします。

 

 

1847年には政界入りを果たし、

その後外交官やプロイセン首相などになり

1871年には当時分かれていた北ドイツ連邦と南ドイツ諸国を

統一することに成功します

 

プロイセン首相に就任する時に予算委員会でいわゆる『鉄血演説』を行いました。

その演説でドイツ問題でプロイセンが優位に立つためには軍拡が必要であると訴え、

自由主義者に軍制改革を支持させようとします。

が、逆に批判を受けてしまいます。

そして、その演説が原因でビスマルクは「鉄血宰相」と呼ばれるようになりました。

 

あと、あまり知られていませんが、

彼は労災保険法や障害・老齢保険法などを成立させ、

世界初の全国民強制加入の社会保険制度を創ったりしていました

 

プロイセン首相兼ドイツ帝国首相となったビスマルクは、

1890年に首相を辞任するまでドイツを指導し、1898年に亡くなりました。

 

晩年、奥さんに先立たれたビスマルクは元気をなくし、

次第に体力的にも弱くなっていったそうです。

 

ヴィルヘルム1世のドイツ皇帝即位式の様子

⇩階段の下にいる白い服を着て、両足を開いた人がビスマルクです。

 

鉄血宰相・ビスマルクの名言

 

・「原則としては賛成だ」と人が言う時、その人間はそれを実行しようする意思を微塵も持っていない。

 

 

青年に勧めたいことは、ただ3語に尽きる。すなわち「働け、もっと働け、あくまで働け」だ。

 間違えないでいただきたいのは、働き過ぎは良くありません。

おそらく、若い頃はがむしゃらにやっていこうということでしょう。

 

 

的確な弾丸より、鋭い言葉の方が強い。

  

 

原則にしがみつくのは、それを実地に試してみない間だけのことです。

  

 

・政治とは、可能性の芸術である

 こんなことを言える政治家は、に〇ぽんという綺麗な国にはほぼいるかなって感じです。

 

・賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。

 

 

《私の独り言》

 

私は世界史を勉強していた時、ビスマルクは鉄血宰相という別名のイメージが先行して、全てを武力で強引になんとかする人というイメージがありました。

 

しかし、ちゃんと調べていくとそうじゃなかった。歴史ってほんとに1方向だけから見ると歪んで見えたり、逆に美化して見えたりするんですよね。

 

分からない&疑問に思うニュースや出来事があれば、自分なりの方法でぜひ調べてみて下さい。