貧乏で周りからは無視されていた若者、ウォルト・ディズニーが世界の人々を感動させるまでの軌跡
この名前を知らない人はインターネットやテレビを見たことがある人なら、
ほとんどいないでしょう 。
このキャラクターを作りだした人物が今回紹介したい方で
ウォルト・ディズニー・カンパニー創業者、
ウォルト・ディズニー (本名ウォルター・イライアス・ディズニー)です。
夢の世界を作る、そこに命を懸けたファンタジー界の巨匠
ウォルトは、鉄道員イライアス・ディズニーの子としてシカゴで生まれ
少年時代から絵を描くのが好きで、
7歳の頃には自分で描いた絵を近所の人に売っていたそうです。
彼は大人になると、デザイン広告会社などを経て、
兄のロイ・ディズニーと共に、実質的にディズニー社の前身である
「ディズニー・ブラザーズ社」を設立しました。
その後、数々の困難がありながらも
今では世界的なアニメーション制作会社となっています。
ちなみに、ミッキーマウスを作り出したきっかけは
まだウォルトが駆け出しの芸術家でほとんど無一文だった頃、
ある牧師が教会での催しを宣伝する絵を描かせるため、彼を雇ってくれました。
しかし、絵を描く場所や寝泊りするところなかった彼はその牧師にお願いをすると、
教会の古いガレージを貸してもらえました。
そして、そこにいっぱいいたネズミからヒントを得て、
ウォルトがデザインしたそうです。
『1955年、アメリカ・カルフォニアのディズニーランドとミッキーマウス』
そして、日本でも有名なのがディズニーランドですね。
彼はアメリカのカルフォルニア州で
初めて作ったディズニーランドのオープン時のスピーチの中で、
「私はディズニーランドが人々に幸福を与える場所、大人も子供も、
共に生命の驚異や冒険を体験し、楽しい思い出を作ってもらえる様な場所で
あって欲しいと願っています。」と言いました。
夢の国をアニメーションだけでなく、
現実の世界でも作ろうとした彼の熱意が伝わってくる言葉です。
ウォルト・ディズニーの名言
↑ミッキーがこそが、すべてのはじまりだったんですね。
↑これはまさに、ディズニーランドのことです!
特にディズニーファンではない私が、最初ウォルトの過去とこの言葉を知った時、なぜか涙が止まりませんでした。
やっぱり世界を変えてしまうほどの人たちは過去も違いますね。
そしてウォルトの晩年の話になりますが、さらに進化したレジャー施設ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート(⇦ 今のディズニーランド原型 )の完成を見ることなく、1966年に満65歳で亡くなられたそうです。
ほんと、東京ディズニーランドにも一度は足を運んでもらいたかったです。
もし訪れていたら、日本にも夢の国が出来たことをウォルトは、心から喜んでくれたのでしょうね。