ドイツ軍人が「この絵を描いたのは君か?」と聞くと、ピカソは「いや、君たちだ!」と答えた
今回紹介する人は、説明が要らないほど
超有名画家のパブロ・ピカソです。
(本名は長いので省きます。気になる方のために下に書いておきます)
数多くの芸術家に影響を与えてきたキュビズムの始祖
ちなみにタイトルの問答は、
スペインの都市ゲルニカをドイツ軍に爆撃されたつらい気持ちを表現するため、
制作した作品『ゲルニカ』がドイツ軍人に見つかった時に
ピカソがそのように答えたそうです。
正直…何を言ってるのか、よくわからないですよね(笑)
私はピカソって、絵が個性的なのは画家さんだからわかるけど、
現実でもつじつまの合わないことを言うのか~面倒そうな人だな
と最初は思いました。
しかし、その言葉には彼なりのちゃんとした(?)信念があったようです。
その信念は下のピカソの名言を見ていただければ、
多少は理解できると思います。
『ゲルニカ』
〈パブロ・ピカソの略歴と関連事項〉
フランスで活動していました。父が美術教師をしていた影響もあり、
9歳の時にピカドールという絵画を制作しました。
成長するとさらに芸術の才は秀でており、
5、6年上の生徒よりも数年先のレベルまで到達していたそうです。
しかし、学校では優等生ではありませんでした
(能力がなかったのではなく、先生の指示を受けるのを嫌がったため)。
そして、美術学校を卒業したピカソはその後、
独学で絵や彫刻などの芸術を追究し続けたそうです。
ちなみに、ピカソの本名(洗礼名も合わせて) は
「パブロ・ディエーゴ・ホセー・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・マーター・パトリシオ・クリート・ルイス・イ・ピカソ」です。
長すぎて、日本でも有名な噺の主人公「じゅげむ」の名前のようです。
あと、かわいそうなのが1911年にルーブル美術館からモナリザが盗まれたとき
警察はピカソの友人であり詩人のギョームを逮捕しましたが、
彼が疑わしい人物としてピカソの名を上げたせいでピカソまで逮捕されてしまいます。
ちなみに一週間後、無事二人は釈放されました。
パブロ・ピカソの名言
↑今、PCで出来ることは計算だけじゃないから、違いますけど。
↑ピカソはこういう思いがあって、つじつまの合わない返事したり、絵を描いていたんでしょう。
いろいろな名言を残しているピカソ。
やはり芸術に関することが多いのですが、けっこう抽象的な発言が多いです。
あと正直な所、私は絵画の良さというのがわからないのでピカソの作品が有名ですごいというのがわかっても、あまり興味がありませんでした。
しかし、その絵画を描いた人物の過去を知るとそういう経緯で描いたんだとか、
この技法は当時珍しかったんだ、などの背景がわかると興味が少しは湧きますよね。
あまり知られていませんが、晩年の彼の作品はピカソが生きていた当時、『なげやりでむちゃくちゃだ』と周りからは低い評価でした。しかし、ピカソは子供の感性で絵を描けるようになったと喜んでいたそうです。
そしてピカソが死んだのちに、新表現主義という様式が勢いを増してきたのですが、その作品のタッチはピカソが描いた晩年の作品に酷似していたそうです。
まさに、死んだ後に作品を評価をされることも多々ある芸術家の代表例でもあります。