いざ、言葉の森へ

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【27年間も牢獄ぐらし】ネルソン・マンデラが人種差別を打ち破った、逆転の発想とは

 

2009年に国連は7月18日を『ネルソン・マンデラ国際DAY』 としました。

 

そうです。今回紹介したいのは、

たった21年前まで、1994年までの合法的な政策として人種隔離政策

(アパルトヘイト) をしていた南アフリカ

大統領になったマンデラです。

 

 

 

精神的にタフであると同時に、やはり常識を打ち破る発想力が違います

 

マンデラアパルトヘイト廃止の立役者だったわけですが、

若いころからアパルトヘイト活動をしていました。

 

 

大学では法律を学び、弁護士となった彼は仕事の合間に

民族の槍という軍事組織を作りました。

そして、その活動などで1964年には、

国家反逆罪で終身刑の判決を受け27年もの間、

牢獄ぐらしを余儀なくされました

 

 

そののち、1990年に釈放されますがその時にはすでに、

マンデラは72歳位になっていました。

 

ちなみに27年もあったら、

10代〜20代の会社員や公務員の方が40歳くらいの中堅やベテランクラス

赤ちゃんが立派な大人になるくらいの期間ですからね。

  


 

そして、マンデラは釈放され、アパルトヘイトに対抗するために彼がした事。

 

それは、南アフリカ

黒人国民全員が強制的に持たされていた特殊な身分証明書を自分の物から焼き捨てることでした。

 

この身分証を持たずに、外を出歩くと最悪捕まります。

しかし、彼はあえて堂々と焼き、このことを新聞で取りあげてもらい、

黒人全員にそれを捨ててもらおうと、考えたのです。

 

もし、町にいる黒人すべてを逮捕したら、

収容所や監獄にはとても入りきらないですよね。

 

 

その後

マンデラの考えた通りに黒人たちは次々と特殊な身分証明書を捨てたので、

警察や国はアパルトヘイト政策をだんだんとしずらくなったのです。

 

人種隔離政策が、いかにヤバいものか

 

アパルトヘイトはどんな酷いものか知らない方のために実情を説明します。

  

例えば泳げる海岸、乗れるバスの座席、黒人と白人は付き合ってはいけない、

住める地域、トイレに至るまで。

とても同じ人間として扱っていないルールばかりでした。

つまり国が合法的に同じ国民を差別をしていたんです。

 

 

そして厳しいお話しですが、私たちが住んでいる日本でも、

以前は差別的呼び方や無番地 (⇦戦後に十分な整理がされず、番地がなかった地区)

などがあったことは忘れないでください。

 

 

アパルトヘイトが実施されていた国の海岸にあった人種差別の看板

  

国と命を懸け、戦い続けたネルソン・マンデラの言葉

 

・人格は厳しい状況のもとでこそ、真価を発揮する。

 

 

・生きる上で、最も偉大なことは決して転ばないことにあるのではない。何回も転んでも、起き上がり続けることにある。

  

 

・外見は大事。だから、笑顔を忘れないように!!

 表情や感情はやはり顔に出した方が相手に親しみや感情を伝えやすくなります。

それが、いろんな方と関われる or 親しみやすさに繋がると思います。

 

・自由であるというのは、己の鎖を解き放つだけでなく、他人の自由を尊重し、向上させるような生き方の事である。

  

 

・まず何よりも、自分に正直でありなさい。自分自身を変えなければ、社会に影響を与えることなど決してできません。

 

 

・勇気あるものとは恐れを知らぬ者ではなく、恐れに打ち勝った者なのだ。

 

 

・何事も達成するまでは、不可能に見える。

 アパルトヘイト廃止を達成するまでは逮捕され、何十年も牢獄で苦しんだでしょう。

そして、釈放後も自分の行動が失敗したらどうしようという感情もあったでしょう。

ですが、自由を勝ち取るために長年闘い、結果を出した人です。

 

 

《私の独り言》

 

私は最初、マンデラがこんなにも牢獄ぐらしをしていた事にとても驚きました。

 

そして、70歳くらいのおじいさんが勇気をもってやった行動が南アフリカ中に広がったというのも驚きですが、やはり彼の精神力です。

 

普通の人は、30年近くも牢獄で厳しい生活をさせられたら、精神的にも体力的にも弱くなると思います。

 

ただ彼は逆で、釈放されたらどんどん行動し、最終的には大統領にまでなってしまうのですから。