暗殺未遂に遭おうともジョークを言える、ロナルド・レーガン
ういっす!エアグリです。
今回の名言&雑学紹介の主人公は、ロナルド・レーガンです。
では、さっそくスマートな顔をしていながら、
鋼鉄の意志を持つ彼の生き様を紹介していきます。
元ハリウッド男優だったレーガンが大統領になった事もすごいですが、やはり精神力がとてつもない
個人的にレーガンと言えば、
世界史に出てくるアメリカ大統領としてのイメージが強いです。
ですが、『BACK TO THE FUTURE』という映画でタイムマシンを使い
主人公のマーティは1955年の過去にさかのぼり、
未来から来た事を信じないドクという科学者に「1985年の大統領は?」
と質問をされ、
というレーガン批判ともとれるセリフがあって
昔は元俳優が大統領になることなどは、
まったく考えられていなかったんだな、と分かる言葉です。
ただレーガンは、その映画の大ファンで
ドクのそのセリフ部分を巻き戻させ、
何回も聞いていたそうです(笑)
肺の奥深くに銃弾が入った彼は、病院に搬送されます。
👇銃撃があった直後の写真で、レーガンは安全のため、車に押し込まれています。
その後、事件を知った奥さんが病院に来て、
奥さんに「ハニー、(銃弾を)避けるのを忘れちゃったよ」
と、笑いながら冗談を言ったそうです。
かなりの重傷だったらしく、出血すらしたケガの後でこのような事を言えるのは、
精神的に強くないと無理でしょう。
そして、米ソ冷戦を終結させるきっかけを作った事は高く評価されています
やはり、レーガンが大統領の時にした事といえば、
米ソ冷戦の終結に貢献したことでしょう。
しかし、彼はソビエト連邦を「悪の帝国」と批判したりなど、
かなり強硬的な外交をしていたので、
彼の政治評価に対して、実は賛否両論あったりします。
世界史をちょっと復習
冷戦は1945年のヤルタ会談の後に、
大国同士の明確な対立構図ができたと言われ
アメリカをTOPとする資本主義陣営
VS
による軍事や経済、スポーツに至るまで様々な影響を与えました。
👇日本史・世界史両方の教科書に出てくる有名なヤルタ会談の写真
かなり長い間、にらみあいを続けていたアメリカとソ連でしたが、
1985年にレーガンとゴルバチョフ (ソ連の最高指導者) が
会談したことを皮切りに、
1987年にはINF (中距離核戦力全廃条約) というのがアメリカとソ連で調印され、冷戦の緊張感は和らぎ
その後、冷戦の象徴とも言えるドイツのベルリンの壁が崩壊。
1989年には、ジョージ・ブッシュ大統領とゴルバチョフが会談し、
冷戦終結を宣言しました。
《レーガンの略歴と関連事項》
アメリカのイリノイ州で、生まれた彼は幼少のころから教会に通い、
成長すると教会で説教をするようになりました。
この時に、彼の演説力が鍛えられたのでしょう。
その後、大学を卒業したレーガンは、
ラジオアナウンサーや映画俳優を経て
1966年にカリフォルニア州知事となり、
本格的に政治家への道を歩み始めます。
👇俳優の頃のレーガン (政治家の頃とあんまり変わっていない気がする)
ちなみに、ジョークに富んだ面白い会話や整った顔、
俳優としての知名度などで
個人的な人気はかなりあったようです。
ロナルド・レーガンの名言
↑政府だけでなく、(悪い)組織もそうかもしれません。
さすがに「私一人だけで戦争しよう」という言う人は、なかなかいないでしょう。
↑お金以外で言えば、やはり気持ちの問題でしょう。
その仕事にハマったとか、昔からやりたかった仕事が回ってきたとか。
↑この言葉好きじゃないです。(なんか驕っている人などが言いそうだから)
ただ、このような人間の構図は社会やドラマなどでよく見かけるので、人間の悪い点として覚えておくべきかなと思います。
事実を恐れない覚悟があったので、レーガンは強硬ともいわれる外交を行なったのでしょう。
しかも、イケメンで人気もあったとかずるいわ!
やはり普通すぎる人やキモメン(←私の事) に対して、現実は厳しいよな~。
まぁ、当たり前ですけど(笑)
では今回はここまで、またの機会にぜひ。