いざ、言葉の森へ

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ほとんど知られていない『ローマの休日』主演女優・ヘップバーンの壮絶な過去

 

皆さんは『ローマの休日』という映画をご存知だと思います。

 

私は「永遠の妖精」とも呼ばれる彼女がスクリーンの中で、

ローマを自由に、そして楽しそうに巡る姿はとても印象に残っています。

 

 

 

ナチス活動で捕まり、なんとか逃げ出し、飢えをしのぐ生活をしていたことも

 

ヘップバーンは、あのアンネ・フランクと同い年で、同じ戦争を体験しました。

 

アンネ・フランクとは違って彼女はユダヤ人ではないですが、

14歳の頃に反ナチス活動をしていたことで逮捕されます。

 

しかし、うまく逃げ出し道端にある草などを食べ、

飢えをしのぐような逃亡生活をしていたこともありました。 

アンネ・フランク - Wikipedia

 

若い頃、このような苦しい経験をしたことにより、

彼女は常に貧しい子供たちの事を気にしていました。

なので、ユニセフ親善大使に選ばれてからも、

ガンで体がだめになろうとも、

年を取ろうとも、飢餓や戦禍に遭った子供たちのために支援活動し続けそうです。  

 

『ヘップバーンがユニセフ親善大使として、エチオピアに行った時の写真』⇩

 

ヘップバーンの凄まじい人生

 

本名:オードリー・キャスリーン・ラストン。

1929年にベルギーの首都ブリュッセルで生まれました。

そして、1939年から1945年の約7年間、

彼女は音楽院に通い、バレエを学びました。

 

しかし、ヒトラーがトップとなった頃のドイツはオランダを占領し、

それに反対していた彼女 (⇦おそらく、ヘップバーンの母の実家がオランダだったからでしょう) はナチス活動に参加し、捕まることも。

叔父と従兄弟もドイツへの抵抗活動していたので、

ヘップバーンの目の前で殺され、異父兄イアンは強制収容所送られました。

 

ヘップバーン自身は栄養失調に苦しみ、

重度の貧血と呼吸器障害などになってしまいました。

 

 

第二次世界対戦後、

ヘップバーンは生活のために映画やテレビなどで役者の仕事を始めました。

 

そして当時は無名に近かったのですが、

彼女をオーディションした監督はただならぬ才能があると感じ、『ローマの休日』のアン王女役に抜擢され、一躍、有名女優となりました。

 

のちに女優業を引退し、ユニセフ親善大使となり、

貧しい子供たちのため、ガンで体を冒されようとも、活動を続けました。

 

『永遠の妖精』ヘップバーンの名言

 

・チャンスなんて、そう何回も巡ってくるものではないわ。だから、いざ巡ってきたら、とにかく自分のものにすることよ。

  

 

・どんな人でも、不安がきれいに消えるということはないと思うの。成功すればするほど、自信は揺らぐものだと思うこともある。考えてみれば、恐ろしいことね。

 ヘップバーンでも、不安に駆られる毎日だったのでしょうか。

 

・成功は誕生日のようなものよ。待ちわびた誕生日が来ても、自分は何も変わらないでしょ。

  これは、突然お金持ちになったとしても、同じことが言えます。

 

・私にとって最高の勝利は、ありのままで生きられるようになった事、自分と他人の欠点を受け入れられるようになった事です。

 

 

・生きることは、博物館を駆け抜けるようなものです。なぜなら、一度には吸収しきれないからです。歳月が経ち、そこで見た物を思い出し、考え、本で調べ、本当に理解し始めるのです。

 学校を卒業し、社会人になろうとも疑問に思った事があれば、学ぼうと自ら調べたりできますからね。

 

 

・何より大事なのは、人生を楽しむこと。そして、幸せを感じること、たったそれだけです。

 

 

 

 

《私の独り言》

 

彼女の人生は、ほんと山あり谷ありの人生です。

 

親族を殺されたり、自分が逮捕されたり、極貧性格をしたり。

 

そして女優になってからは、様々な幸運に恵まれ、監督に見出されて、のちに有名となる作品に出演し、女優として大成功したり。

 

私はたいした人生を送ってないので、ヘップバーンの人生が凄すぎて、「なんか、私の悩みって…小さいな」と思ってしまいました。

 

ちなみに外国で有名な大物女優さんは大勢いらっしゃいますが、その中でも私が人間としても尊敬できるのは、この人です。

 

 

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